同人創作サークル「Onoma」のメンバーが、自分の考えや思想を垂れ流すブログです。
こんにちは、まんじゅ(´ん`)です。
いつもどおりTwitterをだらだら見てたら、こんなTogetter(Twitterの投稿をまとめるWebサービス)の記事を見かけました。
イラストの無断加工・転載・配布と「作者以外は再利用すればするほど画質が超劣化していく画像フォーマット」の話 - Togetterまとめ
うんうん、わかる。
あると良いよね。そういうデータ。
違法コピーは良くない。経済が回らない。
ましてや作者の意図とは違う使われ方をしたら更にひどい。
しかし、ここで僕の思考に魔が差したわけです。
「そもそも創作物って、どうして作り、求められるのだろう」
ということで今回はこれについてダラダラ今の考えをまとめるためにこの文章を書いているわけです。
駄文に付きあわせて申し訳ないです。
とりあえず以下のような感じですすめるつもりです。
僕の想像では、
昔々、人類が言葉も持たない時代、絵というものを発明した時、自分たちの日々の生活を記録しようと壁画を書きました。
またあるところでは、喉を上手に使うと発せられる音が変わることに気づき、それを繋げたり、何かを叩くことで音を出して重ねあわせることで、音楽ができあがりました。
このように、最初は純粋に「あったことを伝える」ためにこのような手段が生まれました。
そしてそこに「神」という概念が現れました。
皆は皆の考える幸せを伝えるために、神を伝えるために創作を始めたのではないかと僕は思います。
では現代に至って創作はなぜ作るのでしょうか。
まず、妄想は楽しいです。少なくとも、私はそう思います。
次に、その妄想を人に伝えるのが楽しいです。とりあえず、私はそう思います。
最後に、その妄想で人が楽しんだら、私も楽しいです。私はそういう人間です。
他にも、自己の存在を主張したい、自己の考えを発信したい。そういった方もいるでしょう。
僕個人としては、創作の動機なんぞ、何だって良いと思っています。
では、創作はなぜ求められるのでしょうか。
人間は刺激を求めます。動物なので仕方ないことだと思います。
そして、自分の妄想だけでは満たせない欲求を満たすために、創作を求めるのだと思います。
この欲求は人間の本質的なところだと性欲だったりしますし、知的なところに行くと知識欲なのかもしれません。
さて本題です。なぜ作者の意図とは違う形で使われてしまうか、配布されてしまうか。というところです。
と言ってももう答えはでているのかもしれません。
大体これに収束するかと思います。
もっとも、定額制の通信料を払えば、人の顔を見ずに、後はほぼ無料でありとあらゆる情報や創作物が手に入ってしまうインターネットの力は強力で、もしかすると人々の価値観さえも変えてしまったのかもしれない。だからこそ、
「無料で手に入れたい」
という欲が強くなってしまったのかもしれないと僕は思います。
ただ、世の中には「コラージュ」という表現手法や、「オマージュ」、「インスパイア」などもあるため、一概には全ての「作者の意図と違うN次創作」を否定するのは、僕個人としては豊かな創作文化が出来ないのではないかなと思っております。
結論として、私はこういう危険な発想になりました。
創作で収入を得る事を諦めるか、もしくは直接作者にお金が流れる・流れやすい仕組みを作らないと、インターネットがここまで文化を確変させた今日では、創作者は創作を飯の種には出来ないのではと思います。
「じゃあお前はなにか思いついてるのか?」
と問われて思いつくのは、これだけです。
教祖になりましょう。
自分が自分の創作物の原理主義者となり、原理主義者の仲間を増やしましょう。
もうこれは人に如何に正確に伝えるか。そういった問題になります。コミュニケーション能力の問題になってしまうかもしれません。
全く持って残念な記事になりました。
何かを期待していた方、申し訳ないです。コピーを規制するというより、コピーを許しながらどう生存していくかという観点で今回の記事を書いていたので、夢物語のようなオチになってしまいました。
ですが、なにかこれで「よっしゃ、じゃあ俺がその問題解決してやる」
というアイディアが湧いて、人を巻き込んででも実行力のある方は、ぜひこの問題を解決してください。
ファイルが加工・転載・配布されたら、作者に通知が行くようにすれば良いんじゃね?
あ、でもそれ事後報告だし、現存のファイル形式にまた新しいデータ付与するのも問題だし、今はもう電子メールなんてロストテクノロジーだし……。
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