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Onomaブログ

同人創作サークル「Onoma」のメンバーが、自分の考えや思想を垂れ流すブログです。

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【ポエム】物書きは自分との対話であり、世界との対話である。

まんじゅ(´ん`)です。
仕事終わりに行きつけの水タバコ屋さんで、ボーッとした頭でこの文章書いています。

という前置きという名の言い訳をしてからこの先の文章を書くので、乱文になります。
なのでそういうのダメな人は回れ右。


何となく思うのが、物書きというのは「自分との対話をする人間」なのかなと思っている次第。

なぜかというと、自分の脳内にある物語というのは、自分の眺めてきた世界を文章に書き起こし、客観視する人間なのではと。

対話なんですよね。自分との。
自分の得た、感じた世界を、自分の脳内にいる誰かに語らせ、振る舞わせ、その世界を再構築する。
そして推敲する。

推敲することで、
「自分のこの得た経験は? この感情をもっと見る人に伝えるには?」
という、自分との対話が生まれるわけです。

対話は価値観の共有でもあると思います。
価値観を共有することで多様な世界が広がります。
それが府に落ちなかったとしても、知るだけで世界は広がるものだと思っています。

そして自分という「身近な他人」との対話をすることで、
「あー、自分はそういうことを思っているんだ」
ということを知るきっかけにもなります。

また、自己との対話をすることで、自分が世界をどう見ているのかを感じることができると思うのです。
一度文章なり絵画なり音楽などの創作物にすると、一度その思想は自分から離れたものとなる気がします。

だから、創作って楽しい。と同時に苦しみでもあるのではと思うのです。
なぜかって? 自分をさらけ出さなければいけないわけです。しかも具現化出来ていない感情を形にするからです。

自分の事を他人にさらけ出すのって、僕は辛いです。
まわりまわって、そういう自分を、自分しか見れないところに作ったとしても辛いわけです。
自分の負の一面を目の当たりにするわけですから。

また、具現化出来ていない感情を形にするのはエネルギーを使う気がします。
今でさえこんな散文をここまで書くのに15分はかかっています。いや、30分かな?
しかし受け取るときにはもっと短時間で受け取れてしまう事が往々にしてあるわけで。

「好きで創作やってるんでしょ?」と言われても、僕にとっては苦痛が勝るのです。

作れば壊す。壊れてしまう。不完全だから、壊す。
そういう繰り返しが創作にはつきまといます。
僕には苦痛です。だから創作するのは、実は僕には辛い活動でもあります。

それでもなお創作したいと思うのか。
それは「自分の見えている世界を伝えたい」という言葉に尽きると思います。

価値観の共有です。
価値観を共有しましょう。
自分自身の中で散漫している価値観を、自分自身でも共有しましょう。

下手だからとか、そういうのはかなぐり捨てて良いんです。「下手くそ」
と言われるのが怖いなら、どこにも晒さなければいい。
私の中で創作というものはそんなものだと思います。

創作です。
創作しましょう。
自分自身の中で散漫している思いを、自分自身の中でも共有しましょう。

僕はそれくらい創作というものが、もっとカジュアルに、気軽であっていいと思っています。

それで他人が共感したり、感動したら万々歳ですよ。

ってことを、先週の日曜日文学フリマのための新作のショート・ショートを、スターバックスでまずは書きなぐって、その時に得た感情を今こうやってタバコを燻らしながら言語化してみたわけです。


感情に言語がくっつくと、それは永続化するものです。
それを時には諦めることも大切ですが、まあ人間、色々考えてしまうのなら具現化して幸せになれるのならそれで良いんじゃないかと。

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