同人創作サークル「Onoma」のメンバーが、自分の考えや思想を垂れ流すブログです。
Onomaの自称Cief Infomation and Communication Technology Officerのまんじゅ(´ん`)です。こんにちは。
しかし実質仕事は何もしておらず、それどころか自分の作品も全く作ってないのでこいつはまずい。
ということで、お茶を濁すわけではありませんが久々のブログです。
ところでカゲギスサークル長、某所で小説講座をしたのですから、せっかくならその感想を書いたら如何でしょう(人間のクズの発言
さて、最近バターコーヒーで生活しておりました。
目的はダイエットというより、食費生活のための食事量の制限方法として取り入れたものです。
これが良かったのか、それとも他の要因も絡んでいたのかはよくわかりませんが、いっつも目標に到達できない自分に悲観的になりがちだった性格が、若干軽減されました。
他の要因になりえそうなものについては後術。
バターコーヒーを飲んで食事制限をしたことにより、食べ物への執着・空腹感への対応が大分楽になったのは確かです。
さて、話は変わりまして、多くの宗教(私の知ってる限り厳格な仏教・各種キリスト教・各種イスラム教)では「断食」が修行に必ずと言っていいほど在ります。これはなぜなのか、
そのうちの一つを我慢するというのは、実は非常に精神に苦痛を来すものなのではなかろうかと最近思うわけです。特に過剰な食事をしていない人に関しては。
そういった強い欲求に抗うことが、やはり人間の強さに磨きをかけるのかもしれないと思ったりするわけです。
もしかしたら最初の発端は全く違うものだったと思いますよ。砂漠の国で生まれたキリスト教やイスラム教・それとユダヤ教もかな? それらに関しては根本的に食糧が少なかったから我慢せざる負えなかった。その風習が今でも残っているとも考えられます。
逆に仏教に至っては、周りの自然が豊かなところで生まれた宗教だと思います。しかし、それでも人間の苦しみは消えることがない。何故か、欲求・煩悩があるから。
そこで人間の一番根源に当たる三大欲求を抑えることで修行をするという考えに行き着いたのではと思うわけです。
あながち、これは間違いではなさそうです。実際断食を成功させた人は意志が強い人を自分の観測範囲では多く見受けられ、かつ食事への感謝が非常に高い。
だからといって私は「断食を絶対一度はやれよ!」とは言いません。が、一日くらいやると、世界が変わるかもしれないのかなと思う次第です。
ただ、私の場合は断食というよりバターコーヒーによるカロリーの一時過剰摂取で一日持たせたという、正確な断食ではないのですけどね。
悲観的になりがちな性格が改善された件についてお話していませんでしたね。
心療内科はもちろん通院して、症状も大分軽減されて入るのですが、その他に取り入れていることとしてはやはりヨガでしょうか。
ヨガをやり始めたきっかけは崎田ミナ先生の「雑念だらけのヨガタイム!」という連載記事なのですが、ここで掲載されているヨガのポーズは比較的簡単なものが多いため、寝る前や起床直後にやるのにとてもいいストレッチになります。
薬で落ち込み耐性の増加率のそんなに高くないゆるやかな比例のグラフが、ヨガを取り入れたその地点から落ち込み耐性がぐんと上がった気はします。
物書き、絵描きは現代に至ってはパソコンに向かうことが多く、それでなくても机にへばりついてものを作ってることが多いと思うので、ストレッチはしっかりすると良いと思います。
それと目薬。ドラッグストアで安売りしている目薬で十分なので買っておいて、
「あー、なんかだるい」と思ったら即座に使って目をつむって目頭を指で抑えて1分以上待機しましょう。
その後眉間を親指でグリグリやったり、目の周りやこめかみを指先で叩くと更にいいです。
創作に没頭するのも良いですが、自分の体が無くなったら創作できなくなるので、自分の体のことも気にかけてあげましょう。
あれ? なんで最後は健康記事になったんだ?
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